アルプス山脈/About Alps
アルプス山脈について
ヨーロッパ中南部の褶曲)大山脈。フランス・スイス・イタリア・オーストリアにまたがり、長さ1200キロ。最高峰モンブランの標高4807メートルをはじめ、マッターホルン・ユングフラウなど四千メートル級の高峰がそびえる。
アルプス山脈は、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属し、ヨーロッパ中央部を東西に横切る「山脈」である。オーストリアを東端とし、スロベニア、イタリア、スイス、リヒテンシュタイン、ドイツを経由してフランスに至る。詳細には、幾つかの山脈に細分される。アルプがいっぱいであるからアルプスであると考える説と、ケルト語の alp「岩山」を語源とし、ラテン語を経由したと考える説がある。最高峰のモンブランは標高4,810.9m(2007年)で、フランスとイタリアの国境をなし、ヨーロッパの最高峰でもある。
アルプスに接する7つの国
フランス/スイス/イタリア/リヒテンシュタイン/ドイツ/オーストリア/スロベニア
最高峰
モンブラン(4,810m)
延長と幅
延長1,200km/幅100-400km
概要
アルプスは、モンブランの他、マッターホルン、ユングフラウなどの高峰を有し、最高部は氷河に覆われる交通の難所である。しかしイタリアよりヨーロッパ各地域へ通じる要路に位置するため、戦争や交易のための移動経路となり、中世には巡礼、大学生、近世においてはまた各地を見物するための旅行者など、多くのものがアルプス越えを行った。古代から中世にかけて主に用いられた峠を西から列挙すれば、シンプロン峠(サンプロン峠と読まれることもある)、ジュネーヴ山越えの道、グラン・サン・ベルナール峠、シュプルーゲン峠、ゼプティマー峠、ブレンナー峠、ラートシュタッター・タウラーン峠、ゾルクシャルテ峠、プロッケン峠、ポンテッバー峠(別名をザイフニッツ峠)である。歴史を通じて最も多用されてきた峠はジュネーヴ山越えの道およびブレンナー峠であるが、各時代によって、愛用される峠は若干異なる。
なおこれらの峠のうち幾つかの下には、近代に至ってトンネルが掘削され、各国国境をまたがる鉄道線路および自動車道路が敷設されている。
アルプス越えをした有名人は多いが、そのうち最もよく言及されるのは古代カルタゴのハンニバル・バルカによるアルプス越えであろう。彼は大規模な軍を率いて初めてアルプスを越えた将軍であり、この予想だにせぬ方向からの奇襲によってローマを驚かせた。ただ、ハンニバルが実際に通った場所がどこだったかについてはいまだに定説がない。中世では、フランク王国のカール大帝もランゴバルド王国と戦うためにアルプスを越えた。またナポレオン1世がイタリアを攻略した時のアルプス越えも知られている。このときナポレオンは自らをハンニバルになぞらえて鼓舞したという。ナポレオンがイタリア攻略の際のアルプス越えで利用したのは、グラン・サン・ベルナール峠である。このアルプス越えの時のナポレオンの雄姿(白馬に騎乗した姿)を、ナポレオンに仕えた宮廷画家のジャック=ルイ・ダヴィッドが、「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」として描いている。
近世後期より、アルプス山脈の各高峰に挑む登山家が現れた。また現在は冬はスキーなどウィンタースポーツの好適地として、夏は避暑地として多くの観光客を集める。スキー種目のうち滑降競技の別名「アルペン競技」の名はアルプスに由来する。アルプス山脈の山麓および山中の都市は、しばしば冬季オリンピックの開催地となっている。
成因
漸新世から中新世にかけアフリカ大陸がヨーロッパ大陸へ衝突したことで、白亜紀にテーチス海で堆積した地層が圧縮され盛り上がって出来た。強い圧力は横臥褶曲と衝上断層により地層にナッペと呼ばれる壮大な遠方移動を生じさせた。今日の景観は過去2百万年間にあった少なくとも5回の氷期の氷河作用が作り上げたものである。最後の氷期が終わった1万年前に気候は大きく変化し、氷河は山脈の奥に後退し、アルプスの森林に巨大な花崗岩の遺石を残した。
主要峰
- モンブラン (4,810.9m) - 西ヨーロッパ最高峰、フランス最高峰、イタリア最高峰
- モンテ・ローザ (4,609m) - スイス最高峰
- マッターホルン (4,478m) - ヨーロッパ3大北壁の1つ
- グランド・ジョラス (4,208m)- ヨーロッパ3大北壁の1つ
- ユングフラウ (4,158m)
- グラン・パラディーゾ (4,061m)- イタリア国内最高峰
- アイガー (3,975m)- ヨーロッパ3大北壁の1つ
- グロースグロックナー (3,798m)- オーストリア最高峰
- ツークシュピッツェ (2,962m)- ドイツ最高峰
- トリグラウ (2,864m) - スロベニア最高峰
スイスアルプスMAP